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朱建栄のblog
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日本の国連常任理事国入りと「中国の教科書問題」(2005年10月28日発、177号) 2005年 11月 08日
今回は日本の国連安保理常任理事国入りと中国、および教科書問題について注目記事と論文を紹介します。
前者について、とにかく中国が悪い、という論調がありますが、私の見方は一つは、日本の対米過信、もう一つは中国のメッセージを読み間違えた(無視した?)ことです。高村正彦さんから直接に聞きましたが、去年の時点で、唐家せんさんは彼に、「この問題で最大の障害は中国ではなく、アメリカですよ」と話したそうです。香港『信報』1月7日の記事も同じ見方でした。 一方、中国側は少なくともこの3月まで、非常に迷っていたことは間違いのない事実です。反対したくないし(代価が大きすぎる)、日本と取引もしたかったのです。台湾『中国時報』1203、多維103をご参照ください。 しかしその時点で日本は自分の力を過信したのか、小泉首相の靖国神社参拝問題で中国に譲歩するつもりがなかったためか、中国を相手にしませんでした。ドイツ通信DW430のドイツ側の分析からも分かるように、日本は、中国は最終的には反対できないことを踏んでいたと思われます。もう一つの裏づけは去年6月の段階で、朝日新聞に、日本の国連大使のインタビューが掲載されたが、日本は「フランスとイギリスを共同提案国に、アメリカとロシアを支持側に引き入れ、中国を押し切る」との戦略だと、よくもここまで「率直に」話したなとあきれていました。 中国が正式にG4提案に反対し出したのは間違いなく今年4月以降であります。 以下の台湾側の分析も一読する価値があります。 台湾日本総合研究所2005/05/03欲以「入常」稱霸東亞,日本弄巧成拙 http://www.japanresearch.org.tw/special-19.asp 一方、中国の教科書はいかに反日か、との説がまかりとっていますが、中国の教科書制度やその内容は世界の流れを意識して懸命に自己改革をしています。去年末、上海版教科書は抗日戦争にまつわる定番となっていた内容を削除し、物議を呼びましたが、堅持されています(人民網325)。 扶桑社の教科書の問題点は一体何なのか、中国学者の分析は人民日報920論文です。 ただ、中国国内の日本研究がかなりずさんであるとの自己批判も中国のネットに出 ています(王錦思論文)。 このようなごちゃごちゃした話より、溝口先生が北京大学で行った大所高所に立っ た講演は本当に勉強させられました。その講演を聞いて多くの中国人大学生は感動し たと聞いています。 以下は宮崎公立大学の王智新教授の書いた中国教科書制度改革の実体検証の論文の要約を紹介します。 中国の教科書制度と歴史教科書について 宮崎公立大学 王智新(教育学) 中国の現行の学校用教科図書(教科書)の制度について、「国定教科書」であると、「新しい歴史教科書つくる会」の方たちだけでなく、物事を複眼で見ようと主張する学者までがそう述べている(『朝日新聞』4月15日「教科書検定を考える」)。実はこれは20年近くまでの「昔話」である。 80年代以後の教科書制度の改革 1949年に建国した中国では、旧ソ連の教材管理システムを導入し、国の定めた「教学大綱」に基づいて、専門のスタッフによる「統(一)編(集)教材」が編集され、人民教育出版社だけで出版され、学校教育にはそれしか使用できなかった時期が長く続いた。しかし、鄧小平が進めた改革・開放の時代に入り、1986年、転機が訪れた。 その年、中学校までの9年間「義務教育制度」が正式に実施されることになったと同時に、国定教科書制度についても重大な改革が行われた。教科書の製作を、編修と審査と二段階に分け、統一した学習要求の下で、教科書の多元化が図られた。その過程で、アメリカ、日本、フランス、イギリスなどの国々の教科書制度が研究され、各国の制度を比較したうえ、中国独自の教科書検定(審定)制度の確立が模索された。特に日本については、教科書の内容をはじめ、検定、採用、供給に至るまでの制度、法規などについて綿密に調査が行われた。実は80年代以来、中国の教育界で教科書制度の改革を引っ張っているのは主に日本に留学や研修に来た人たちであった。その間、日本国際交流基金を筆頭に、日本国際教育情報センターなど多くの団体及び、教科書関係の出版社、執筆者に大変お世話になったと担当者たちは今も話している。 1987年に、教科書検定の専門委員会―「全国中小学校教材審(査)(検)定委員会」(以下、審定委員会という)が当時の国家教育委員会に設置された。翌88年から、北京、上海の大学と出版社が協力して、5種類の教科書が発行され、それまでの「国定教科書」制度にピリオドが打たれた。 「反日教育の強化」は存在のしようがない 建国以後、中国では政治や経済の激動を反映して8回に及ぶ教科書の指導基準が作られた。90年代半ばごろにも確かに7回目の「教学大綱」が発布されたが、筆者が中国各大学の教科書検定に直接にかかわったベテラン教授たちに調査したところ、「江沢民主席が愛国主義教育を強化した中で、反日の内容を大幅に増やした」との日本での「定説」に、みんな驚いて「初耳」との反応だった。 彼らは次のように説明してくれた。①、「国定教科書」は実際、存在しなくなっている。②、「反日の内容を増やせ」という指示を受けたことがないし、90年代後半の5年間、中国国内の雰囲気は「反日」より、「反米」であった(主に対米批判の内容だった『ノーと言える中国』が96年に出版され、ベストセラーになった)。③、日本に関する叙述は80年代以来の教科書と比べても特に変わっていない。 中国の教科書制度は21世紀に入って、世界の潮流を反映し、中国の近代化により有効に役立つという目的は一段と鮮明にされた。2001年、江沢民主席は「三つの代表」論を打ち出し、その中の第二項は「世界の先進的文化を吸収し、先進的文化の代表にならなければならない」というもので、その思想はさっそく、2002年の更なる抜本的改革に現われた。建国以来続いた「教学大綱」が各課目ごとの「課程標準」に改められたのである。たとえば歴史教育の場合、「全日制義務教育 歴史課程標準」が新しい指導基準になっている。「教学大綱」は旧ソ連の教育方針を踏襲したもので、国が制定し、全ての教育内容はそれに従わなければならないとの発想だったのに対し、「課程標準」は各科目に関して一定の目安を設定し、その範囲内で教科書執筆の自由度が大幅に拡大されたのである。それによって、中国の教科書制度の改革は一気に加速した。 2004年現在、中国の義務教育段階の18教科には、各地で編集した199種類の教科書が教育部の「義務教育学校教学用書目録」に掲載され、各地方単位で学校の採用選択に供されている。中でも歴史教科書に限って言えば、北京、上海、四川、広州、河南、河北、湖南などの11出版社から14種類発行されている。 新しい教科書制度の中身 一口で言えば、中国の今の教科書制度は日本のとかなり似ている。政府(教育部)の制定による統一した教科書はない。それに代わって、学校に使用する教科書、参考書、副読本、教育用音声・映像資料、コンピューター教育用ソフトヴェアーなどの教材は、すべて民間の製作に任され、実際に学校で採用されるためには、「全国中小学校教材審定委員会」の検定を通さなければならない。同委員会の他に、漢字以外の言葉で作成される少数民族用の教材を担当する、「全国少数民族教材審定委員会」もある。この二審定委員会の下に、教科ごとに専門の教材審定分会があり、それぞれ主任一人、専門委員5ないし11名から構成される。委員の任期は4年で、再任は妨げない。委員の交代は三分の一ずつ行われると、同審査検定委員会法が定めている。そのメンバー全員はその分野の教育専門家で、役人は加わらない。また、審定委員会委員の教科書執筆は堅く禁じられている。 いかなる団体、個人でも、条件さえ満たせば、誰でも教科書を執筆することが出来るが、省、市、自治区など地方教育委員会に立案の申請をし、許可をとることが必要である。毎年3月と9月、二回検定の申請を受理する。そして、その結果はそれぞれ6月と12月に、申請者本人宛に通知する。なお、検定は二審制で、第一審をパスした教科書は、400クラス、若しくは2万人を超えない範囲での試用が義務付けられている。一巡の試用が終了後、試用効果、試用者の意見、試用学校の評価などを盛り込んだ教科書試験レポートを添えて、最終検定に提出される。最終検定では一回で合格するケースもあれば、2回から4回にわたって検定意見に基づいての修正が求められる。ただ、修正意見はその課目と関係ない政治的干渉があってはならず、「課程標準」にのっとって検定委員会の専門家の合意によって出される。それに合格した教科書は初めて、教育部の発行する「義務教育学校教学用書目録」に収録され、全国範囲の採用に推薦される。 地方版教科書の出現 また、九十年代から、教科書に関する全般的指導方針の改革が始まっただけでなく、具体的な実施に関するカリキュラムの改革も行われ始めた。カリキュラムの編成は、全国レベル、地方レベルと学校レベルの3段階になり、各地では、地元の特長を生かした教材のほかに、副読本、郷土教材、補足資料を編集し、さらに、各学校でも、生徒の需要に応じて、地元に密着した教材の開発が進められている。中国は広いから、各地方の特徴を配慮した教材制定の必要性が認められたわけである。 このような教材の審定は、各省市自治区の教育委員が責任を持って進められている。前述の全国レベルの検定委員会の手順と同様、各省市自治区の教育委員会に教材審定委員会が設けられて実施し、所轄地域内の教材審定を行っている。たとえば上海の小学校の教科書は主にH版とS版の2種類が採用されている。前者は全国レベルの検定委員会で通ったもので、後者は上海市の教材審定委員会の審査を通ったものである。ただ、地方版の教材には、全国版という強いライバルがあるので、それ以上のものを作らないと、採用がなかなか難しい。従って、地方独自の教科書は、歴史教科所で言えば、まだ北京、上海、広東、河南と少ない。しかし、全国版、地方版の教科書の並存によって、その内容から体裁、装丁製本まで、すべて旧来の千篇一律の教科書と異なり、特性と個性を見せている。 教材審定委員会の審定をパスして合格した教科書には、表紙に「経国家教育部○○教材審定委員会審通過」あるいは、「経○○省(市・自治区)教育委員会教○○材審定委員会審通過」(○○教科書審定委員会の審定で合格したという意味)と明記することになっている。 日本に関する記述の変遷 上記の制度変化に伴って、教科書の記述と内容の取捨も大きく変わってきた。「課程標準」は国家が示した最低限の学習到達目標であるから、それをクリヤーするため必要最小限に歴史事実を不偏不党に選択し、客観的で公正に叙述することが求められている一方、今まで、歴史教育にあまり無関係と軽視されがちな科学技術、文化芸術、民俗風習にもカバーしようとする努力がなされている。その精神は日本に関する記述にも反映されている。 中国の近代の幕開けとほぼ同時に、日本の軍隊が中国大陸に進出し、謀略、掠奪など悪事の限りを尽くした。中国近代史は、一部の時期を除けば、日本の侵略に抵抗する歴史と一体となっているといっても決して過言ではなかろう。1930年代初頭から、「暴日の東北占領」、「暴日の上海蹂躙」といった内容が歴史教科書に取り上げられている。たとえば最初の一冊に、これらの記述を盛り込んだ『初中(初等中学校)本国史』(何祖沢編著、新亜書局1932年出版)がある。それ以来、日本の侵略に関する記述は国民党政権下でも、共産党政権に入っても、一度たりとも中断したことはない。 1972年の日中国交正常化の後、この日本侵略歴史に関する記述は、「加害者はごく一部の日本軍国主義者であり、大半の日本国民も中国人民と同じように、戦争の被害者であり、犠牲者である」との観点で貫かれている。もちろん、その間、対中侵略に関する新しい研究成果は一部、新しい教科書に反映されている。80年代初めまで、中国大陸では南京大虐殺についてほとんど研究が行われなかったが、日本の中で戦争責任を否定する動きが現れたことへの反応として南京大虐殺の研究が強化され、その内容も教科書に取り入れられるようになった。「従軍慰安婦」「強制連行」なども80年代、研究の進展にともなって教科書に盛り込まれた。 一方、中国の歴史教科書の主旨は誰かへの恨みを青少年の脳裏に刻ませるためではなく、中国人自身がいかに「歴史を鑑にして未来に向かう」かを考えるためのものである。毛沢東、周恩来、鄧小平、江沢民以来の歴代の指導者とも、日中友好を基本国策としており、その基本方針のもので、中国の歴史教育学者は、日本との友好関係の維持と発展という未来志向の観点でいかに日本を客観的に描くかについて、大変神経を使い、血のにじむような努力を積み重ねてきた。中国の国語教科書にはずっと、文学者魯迅が書いたエッセー「藤野先生」が収録されており、一中国人留学生を日本人の教官が熱心に指導した話は、中国の老若男女で知らないものはないくらいである。 「田中上奏文」の真偽二説が併記に 中日関係を取り扱う中国の歴史教科書は、「二千年の友好交流の歴史」というスタンスから書き始め、「近代に入ってからは一時不幸な時期があった」との捉え方になっている。全体では中日友好と民間交流を主軸に、侵略戦争については事実だけが粛々と述べられている。日本の明治維新については主に評価するトーンで書かれている。近代中国は自己改革に遅れたのに対し、日本の明治維新は中国にとってのよき鏡になったのである。そして1998年に訪日した江沢民主席は小渕首相と交わした日中共同宣言で、中国側は戦後日本の平和発展を評価し、2002年に制定された「課程標準」は新たに「戦後の日本が資本主義の経済強国になった主要な史実」という項目が立てられている。そのため、中国の歴史教科書執筆者の多くは自らの目で戦後の日本を捉えようと、何度も日本に足を運び、文部行政の教科書担当者に一度ならずにヒヤリングをし、日本の歴史研究者と互いに相手の国の歴史教科書の査読までした。このような事実は、あまり知られていないだろう。 日本とのかかわりで近年の中国の教育改革といえば、特に「戦時下と戦後の日本の民衆に思いを馳せ、彼らに気持ちが通ずるよう」という学習活動のテーマが設置されている。議論の分かれる重大事件については両論併記という方法を取り始めている。例えば、「田中上奏文」(中国語では「田中奏折」)については、一部の教科書は、本文では中国側の主張を記述しているが、同ページの脚注では、「日本の学界では大半、(田中上奏文は)存在しなかったとされている」と、同上奏文の真偽説を併記している(『中国歴史 三』人民教育出版社 1993年版)。 なお、南京大虐殺については、最新版の『義務教育課程標準実験教科書』では、「寧為戦死鬼、不作亡国奴」(戦死しても亡国の輩になるな)という小見出しで、当時の状況を紹介しながら、「死者30万以上達した」という中国政府の公式見解を記す一方、「活動の付録」には、「一般市民と捕虜を20万人以上虐殺した」という極東軍事法廷が認定した数字を併記している(『中国歴史』七年下冊 人民教育出版社 2004年)。2004年末に改定された上海版の国語教科書では、日中戦争中、日本軍と英雄に闘った「狼牙山五壮士」の有名な話が削除され、「過去の英雄より、現在の英雄が青少年により一層共感を与える」との理由で、アテネ五輪の陸上競技で金メダルを取った劉翔の話に差し替えられている。新しい時代に相応しい歴史教科書のあり方をめぐって、社会的にも大きな波紋を呼んでいる。 日中韓の歴史の共有へ第一歩 日本の戦後改革や、経済高度成長、そして公害問題と環境問題への取り組みなどについては、「課程標準」に基づいて、各『世界史』教科書で詳しく取り上げられている。なお、中日国交回復後の交流と対中国の政府援助(ODA)などについても、一部取り上げられている。 日中の侵略に抵抗する史実は中国の近現代史の重要な一部分であり、今後も中国の教科書の記述から消えることはありえないだろう。ただ、中国では客観的、日中の国民友好、未来志向との観点に基づいていかに記述を改善するかが進められている。近年、日中韓の三カ国学者の間で共同教科書の製作が模索されており、これは歴史の共有にむけた重要な一歩になる。 各国の間で歴史観や具体的歴史事件の認識を完全に一致させる必要はない。また国民国家の存在する限り、それは不可能でもある。しかし、基本的な人権を中心に、平和で民主的社会の担い手の育成を共通の教育目標に掲げている以上、20世紀の前半において日本帝国主義が朝鮮半島を植民地化し、中国に侵略戦争を発動した、それは日本国民にも多大な災難をもたらした、という最大公約数に到達することはできるであろう。具体的な歴史事実の記述や取り扱いについては、価値判断の如何に捉われず、話し合いを通じて、一部は異なる見解を並列し、一部は各国の扱いに任せる、という形でよいのではないか。青少年の発達に配慮しながら、重要なのは基本的な歴史事実を歪曲したりして、現在の民衆同士の敵愾心を煽るのではなく、東アジアの平和と繁栄を守り発展させるように目指す未来志向という高い見地に立つことであろう。 by syukei | 2005-11-08 12:31 | 時事問題・注目記事の解説
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